迷路

スクラップ、呟き

1970年のモノクロ映像をカラーにした動画を視ました

 

 

 

この動画を視て、淋しさが込みあがりました。

この年、私が小2になったばかりの時に小5の兄がダンプカーにはねられました。一方通行の道幅しかない道で、自転車に乗った兄は、ダンプカーが来ているので端に寄って止まりました。ダンプカーは止まってる兄を引っかけました。足首から下がペチャンコになりました。現場を通りがかった幼稚園の時の先生が、兄の足に風呂敷を被せて、兄に足を見せないようにしました。母が医師に「足切らんといてください」と泣いていました。弁護士から届いた封筒を、小2の私はこっそり見ました。その中身の文書が、今も写真のように頭に残っています。医師は切断せず、3年の入院で20回以上オペをして足を治してくださいました。当時はガス麻酔です。ガス麻酔の後遺症は心臓肥大です。脚は3cm短くなりましたが、歩けるようになりました。医師の凄腕、神の手です。兄の太ももは、皮膚を移殖に使ったため、ムカデがいっぱい這ってるような感じになっていて、足はじゃが芋いっぱいくっつけたみたいになっていました。足の中には針金が入ったままです。当時の小児病棟は、漆に負けた子がいました。山には、普通に漆の木があったのです。3年後、私が小5の時に兄が退院し、一か月後、母が居ない生活となりました。私は中高の6年間、学校で菓子パンを食べました。弁当をつくってもらったことがありません。自分でつくったことがありますが、皆のお母さんがつくった弁当に比べると、私は自分の弁当が開けられませんでした。食べずに過ごしました。その頃、近鉄大阪線の青山トンネルで大事故があり、今、そこは心霊スポットにされています。来年で、自事故から50年になると思います。私の母は宜保愛子さんより1歳年上になります。その頃は、宜保愛子さんは英語の先生をされてたんでしょうね。宜保愛子さんを視ると、母が恋しくなりました。