小学5年の時、9歳の姉が10歳の私の耳掃除をやりたがり、
逆らえず、任せました。
カラダが飛び上がるほどの激痛が走りました。
地元には耳鼻科はありません。
電車で隣町まで連れて行かれ、また別の医院に連れて行かれ、
小学6年になっても、1時間以上待たされる耳鼻科通いになりました。
中学になっても耳鼻科通いが続きました。今の治療とは全然違い、大変でした。
なので、耳鼻科通いをやめました。
それから、変な夢を見るようになりました。レントゲンを見せられている夢です。
悪い方の耳の下に、白い丸いモノが写っているのです。その夢を何度も視ました。
19歳の時、耳に激痛が走りました。朝まで数時間あるので苦しみました。
私は無理やりカルトに入信させられ、仏壇を持っていましたので、唱題しました。
法華経は日本の宗教ですからカルト連中を無視してお祈りはしていました。
唱題して間もなく、耳の中で破裂しました。
するとピタリと激痛が無くなり、耳垂れが流れてきました。
朝になって耳鼻咽喉科医院に行くと、国立大阪病院へ紹介状を書かれました。
物思いにふけりながら歩いた法円坂が、闇へと向かってる気分でした。
腫瘍らしきものができていて、オペせんと良性か悪性か分からない状態でした。
オペが長引いたら良性で、直ぐに終われば悪性やと教えて貰いました。
その診察の光景、レントゲン、子供の時から夢で見たのと似ていたのです。
病院は、今は全体が建て替えられ、名前も変わり、大病院に見えていますが、
入院時は、サイレンに出て来そうな、汚く、薄暗く、不気味な病院でした。
ウイルスのバイオセーフティのマークと似ている、放射能のマーク、
ラジオアイソトープという部屋・・・、患者さんらから聞いた心霊話・・。
オペも、病院自体も、何もかも怖かった上、オペの最中に目が覚めたんです。
カンカンカンっという音で目が覚め、オペ室の、あの照明、時計を見ました。
主治医と部長先生が慌ててらしゃるのが分かりました。
痛みは全くなく、いつの間にか寝てしまって、気づいたら病室でした。
上から、戦時中の女の子が落ちてくる幽霊さんは視れませんでしたが。
姉に耳掃除された、母が他界、近鉄青山トンネル事故、千日前デパート火災は、
ほぼ同じ頃だったので、近鉄青山トンネル事故と千日前デパート火災に、
あまり着目しておらず、母がいない子になったことでいっぱいでした。
姉は自分のせいで私の耳が聴力を失うほどになったことを知りません。
身内も周囲のオバハンらも知りません。父も知らないまま亡くなりました。
国立大阪病院で、オペ中、オペ室前で父は待ってくれましたが。ラジカセ持って。
耳は、50年経った昨年、オペで完璧に治していただきました。
今年、聴力回復のオペを受けました。回復していませんが別にいいんです。
昨年のオペで、楽になりましたから。60歳ですし、聴こえないままでいいです。
正直、もう人生が終りましたから。
19歳の時は、病室で、窓から見えるKDDを見つめ、エリック・カルメンの、
「フーリンマイセルフ」を聴きながらキーボード(シンセ)をやめる決心しました。
片方聴こえなくなると音が作れませんから。オペで、ほぼ聴こえなくなりました。