2日後はコマリちゃんの一周忌

 

 

コマリちゃんが、うちの最後の子なので、火葬できず、明後日で一周忌。

 

これが辛いので、もう生きものは飼育しません。

アタシもババアになったので、生きものを飼育しない方がいいですし。

14年は生かしてあげたかったです。

 

コワタちゃんは、卵詰まりで、

動物病院のクソジジイが腹を抑えて卵を出そうとし、それが致命傷となりました。

アタシに権力があれば、このクソジジイを裁判にかけたいほど。憎いです。

コワタちゃんは激痛。鳥専門の病院へ連れて行き、何とか痛みが取れました。

でも、出血は続き、大量出血の日もあり、なすすべがなく、辛い日々でした。

発情させてはいけないので、知り合いに預かってもらい、

朝、水を飲もうとしてたのか、水を飲むことなく、尽きてしまいました。

悲しい。悲しい。悲しい。今も悲しい。悲しい。

コワタちゃんは、うちで生まれた子で、ふわふわした羽毛の美しい子でした。

ほんの6歳で終わったのです。悔しい。悲しい。かわいそうに・・・。

 

そしてケマリちゃん、高齢になると起こる甲状腺の異常。どうしようもなかった。

ケマリちゃんは、もうすぐ11歳になろうとしていた10歳で終りました。

 

ワタゲちゃんは8歳でお外へ行ってしまって・・・。

 

ブンブンが死に、ぼっちになったピヨスケ、

そこへヒナのケマリちゃんが来て、

ピヨスケが死に、声をあげて泣きました。一週間寝込みました。

ケマリちゃんがぼっちになり、ワタゲちゃんがやってきて、

ケマリちゃんとワタゲちゃんがつがいになり、

コワタちゃんが生まれ、コマリちゃんが生まれ・・・。

ブンブンが元気だった時から、コマリちゃんが尽きた頃までの十数年、

鳥ちゃんとの生活を送ってきたので、今、物凄く寂しいです。

 

鳥ちゃんの前は、東錦のあずちゃん、キャリコのキャリちゃん、

白更紗のランちゃん、リンちゃん、ルンちゃん、ユキちゃん、

琉金のレイちゃん、

コリドラスのコリちゃん、プレコのプレちゃん、海老のエビちゃん

を飼育していました。皆、賢い子でした。

あずちゃんは、水温計を水槽に当てて音を出して、アタシを呼んでいました。

物凄く賢かったです。

プレコのプレちゃんは、餌を差し出してきて、仲間にはいろうとしたり、

エビちゃんは、一番華奢なので心配でしたが、元気で過ごせていました。

皆、仲が良くて、見てても分かるほど仲が良くて、賢くて、感動でした。

写真を写したら、うちにはいない色の琉金が写りました。心霊写真です。

うちの水槽で一緒に楽しく過ごしたいんやなっと思いました。

来てくれてありがとうと心霊写真の琉金に言いました。

リクガメ、インコも飼育したかったのですが、アタシは貧困なので叶いません。

いつ死ぬや分からん年齢になったので、もう飼育しません。

コマリちゃんが、うちの、最後の子です。

 

昨日から、急に冬の気候となりました。

これからが、ウツが酷くなります。

雀や鳩、他、野鳥が寒いだろうと毎日辛くなります。

頭の中で、山に暖を取り入れる術を考えたり、

各所に公園を作り、その上空に暖を取り入れることを考えたり。

アタシに権力があれば・・・。

悪いヤツラがカネを奪って贅沢三昧、アタシは貧困、動物は瀕死の状態。

悔しい、悲しい、悲しい。

 

上の子供が、四天王寺学園の中学受験の日、

独りで受験に行かせるものだと思って、一人で行かせました。

子供は、帰宅するなり、「みんなお母さんが来てた。塾の先生らも来てた」と。

「ごめん。明日の面接はついていくわ」と言うと、

「お母さんは来る必要ないで。一人で行くもんや。」と。

2日目の受験の日、子供が受験に向かった後、アタシは近所の神社へ行きました。

鳩の群れが飛び立ったのに、一羽だけ、翼を広げて歩いています。ヒナのように。

クソ猫が居たので危険を感じ、鳩を持ちました。鳩はバタバタしません。

弱ってると分かり、「大丈夫か。元気になるまでうちへおいで」と声をかけると、

鳩の首が、異常に伸びて、頭が垂れ下がりました。

「死んだらあかん!元気になって!」と言いましたがアタシの手の中で死にました。

そのまま連れて帰って安置しました。

子供が受験から帰ってくるなり鳩のことを言いました。

子供は「明日、埋めに行ったろう」アタシは「せやな」

子供に「受験どうやった?」と全く聞かずで終わりました。今も聞いていません。

合格発表の日、アタシと下の子供は四天王寺で鳩に餌をあげていて、

掲示板を見に行った子供は、戻ってきてニッコリしたので、

掲示板の所へ3人で行き、受験番号が見えるように子供に立たせて写真を写しました。

母親、予備校など塾の講師がズラリ。塾名が入ったクリアファイルを配っていました。

受験の話をまともにしていないままです。

校門で配布されてた防衛大学校の案内のパンフが頭に残ってるだけで、

今も、アタシの手の中で死んだ鳩のことが大きいです。