【アサクリ】【弥助】【外務省】黒人侍を最初に海外に売り出したのは外務省だった。外務省はトーマス・ロックリーの嘘本を元にしていた。

 

アサクリシャドウズ問題で『黒人侍・弥助』を海外に最初に売り出したのは外務省だったに関する反応集【アサシンクリード/シャドウズ/反応集/UBI】 - YouTube

 

 

「黒人侍」を最初に海外に売り出したのは外務省だった。

弥助がモザンビーク出身という根拠は無い。

 

2018年の在モザンビーク大使池田敏雄の挨拶

池田大使挨拶 | 在モザンビーク日本国大使館 (emb-japan.go.jp)

 

 

(スクショ)

 

(コピペ) 赤文字とスクショで説明

モザンビーク日本国大使館ホームページを御覧頂き,ありがとうございます。

1977年1月の日本とモザンビークとの外交関係を樹立から40年の佳節に当る2017年、3月にニュシ大統領が訪日し,天皇皇后両陛下との御会見,安倍総理との首脳会談を行い共同声明を発表し,二国間関係が一層緊密化しました。また同年8月にはTICAD閣僚会合がモザンビークの首都マプトにおいて開催され,本邦より河野外務大臣,堀井外務政務官,武部環境政務官,アフリカの51か国から代表等が参加しました。

このように日本とモザンビークの関係は近年極めて緊密ですが日本とモザンビークは両国が外交関係を樹立する遙か以前より歴史的絆がありました。1581年イタリア人宣教師ヴァリニャーノは織田信長に謁見した際に,従者として連れていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人はモザンビーク出身であり,信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられます。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。

 

⇧この太文字の部分

 

外務省は、このトーマス・ロックリーの本「信長と弥助」を元にしていると考えられる。弥助がモザンビーク出身というのはトーマス・ロックリーの想像でなんの根拠も無い。トーマス・ロックリーは最近では弥助は南スーダン出身だと言っている適当ぶり。

外務省はカメルーンでも「弥助展」をやっており。外務省の職員が弥助の説明をしている。

これについて、「弥助は侍という説もある」と言う者は、歴史学者では日本共産主義者平山優だけらしい。⇩

 

呉座勇一氏によれば、弥助の身分について書いているのは「信長公記尊経閣文庫だけで、ここでも侍とは書いてない。

 

 

その5年後,1586年にはヨーロッパ訪問からの帰国途上であった天正遣欧少年使節団がモザンビーク島に立ち寄っており,アフリカの地を初めて踏んだ日本人として伝えられています。

モザンビークはアフリカ大陸の南東部の海沿いに位置する国です。インド洋に面して南北に2500kmにも及ぶ美しい海岸線を有しており,マダガスカル島の対岸に当たる場所にあります。面積は約80万平方km(日本の約二倍),人口は約2967万人(2017年:世銀), ポルトガル語公用語とし,その他数十の民族言語があると言われています。
経済面では,モザンビークの一人当たりのGDPは約420米ドル(2017年:世銀)に留まり,国連が認定する後発開発途上国の一つであり,多くの課題に直面しています。このような課題に応えるため,日本政府は長年にわたりインフラ整備,農業開発,保健,人材育成等様々な分野において協力を行いモザンビークの発展に貢献してきました。
またモザンビークは豊富な石炭・天然ガスを有し,資源開発のポテンシャルが高いことから,近年民間企業の関心も高まっています。

モザンビーク日本大使館としてはモザンビーク在住の皆様の活動を応援し,開発協力,両国間の活発な交流等を通じて,日本とモザンビーク関係の一層の発展に努めて参る所存です。
モザンビーク日本国大使
池田敏