エリック・カルメンの不幸で、いろいろ思い出して堕ちていく。

交通事故で3年間入院していた兄に付き添っていた母は、

兄の退院の一か月後に・・・。10歳の私は母が居ない子になった。

裁判所の封筒をこっそり見たりした。10歳未満だったアタシには意味不明。

裁判と入院で過労だった父と母。

長女の姉は早くに結婚して家を出る。次女の姉が人生を棒に振って家事をする。

長女の姉はアタシに「してやってんねんで」という態度。

嫌々学校の三者面談に来る。先生、親族の前では妹想いの姿を繕う。

ある日、長女の姉は、アタシの世話をしてやってるという姿を見せるため、

面倒見の良い姉に見せるため、アタシの耳掃除をした。いらんといっても無理矢理。

激痛が走った。それから耳鼻咽喉科通いが始まる。何年も。

通院しても治らないので通院をやめた。

19歳の時、耳に激痛が走り耳鼻科へ行くと国立大阪病院へ紹介状を出された。

国立大阪病院では、オペの最中に目が覚め、医師は大慌て。

オペで片方が聴こえなくなった。

病棟のベッドで、窓から見えるKDDを見つめながら、

エリックカルメンのフーリンマイセルフを聴き、音楽をやめる決心をした。

それから数十年がたった今から7年前、真珠腫が再発してて、

一作昨年の前年、耳鼻科で診察を受け、オペを受けることに。

今の医療技術では一週間ぐらいの入院で完全に治せ、聴力も回復できると言われた。

で、一昨昨年に真珠腫を取り除くオペを、一昨年に聴力回復のオペを受けた。

10歳の時に悪くなった耳は、60歳になって完璧に治療ができた。

これからの人生だった10歳、19歳。それが人生終わってから治療できた皮肉さ。

もう嬉しさは無かった。

優しい主治医や看護師さんに恵まれた嬉しさだけだった。

アタシのウツは、10歳の時から姉らから受けたモラハラが原因。

ウツを治すには忘れるしかない。忘れるもクソも無かったことにはできん。

アタシは父の遺産を貰ってないし。ずっと独りやったし、辛かったし。

忘れられるわけがないがな。それを分かってほしかった。誰かに。

エリック・カルメンの訃報で、アタシがポリシックスを奏でてたことが、

最初から無かったように感じるので悲しい。